長篠合戦の虚実

長篠合戦の虚実(4) 織田軍の勝因

前述したとおり、武田軍の敗因は、野戦築城を行っている上に、兵力が倍以上の織田軍との正面戦闘を強行してしまったことにありました。このように、武田軍の敗退は当然の結果でしたが、重要なのはその決戦に至るまでの経緯です。 以下では、戦闘の推移を概説…

長篠合戦の虚実(3) 交代射撃の必要性と実現可能性‐設楽原における野戦築城

長篠の戦いの主決戦場である設楽原の戦いの帰趨を制した要因は、交代射撃ではなく野戦築城でした。 設楽原では、絵屏風に見られる"馬防柵"だけが築かれた訳ではありません。柵を隔てただけでは、両軍がお互い柵を挟んで向き合うだけで、防御効果はほとんどあ…

長篠合戦の虚実(2) 交代射撃の必要性と実現可能性‐同時代のヨーロッパでの戦術について

前回の内容で、長篠の鉄砲三段撃ちについて、資料面での信憑性が低いことを解説しました。 近代になっても三段撃ちというアイディアがすんなりと受け入れられた理由として、同時期の西洋では交代一斉射撃が実用化されていたことが挙げられます。今日の内容は…

長篠合戦の虚実(1) 歴史を作ってしまった小説

近年、長篠の戦いの評価は大きく変化しています。 以前の長篠の戦いについての一般的な解説は、織田信長が「鉄砲三段撃ち」を用いて「武田騎馬隊」を打ち破り、その後の戦術に革命をもたらした、というものでした。しかし、90年代初頭あたりから、鉄砲三段撃…